語り手:ぽちさん/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■停電のため電卓で精算
2011年3月11日15時30分 仙台市泉区泉中央1丁目
|展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました|
[ぽちさん(以下、ぽ)]この写真は、実質震災後に私が撮った最初の写真だったと記憶しています。地震にあった後一旦自宅に戻りました。そこで親戚の家に、ちょうどこの時春休み中だったものですから、ちっちゃい子たちも含めて、7人ほど里帰りしているのが分かりました。自分1人の分だけであれば購入せずに足りたのですが、ちょっと食料が足りないと思い、開いている泉中央のミニストップで購入しました。まだお茶とかも温かい状態でした。
食料品をあまり買い占めるのもなんなので、とりあえず人数分だけ、おにぎりと温かい飲み物、サンドイッチ、そういったものを購入しました。当然停電なので定員さんも電卓で対応してました。
ちょうどこの時も震度4の余震がありありました。オーナーさんは「危ないですから出てください」とおっしゃったのですが、店にいる客みんなで食料品の棚をこう押さえて、なんか変なテンションで、みんな「食料を死守せよ」みたいな、妙なテンションで。不思議なことにやっぱりこういう時って、みんな、楽しそうにっていうのも変なんですけども、「いやぁ大変だったねぇ」みたいな、へらへらした感じで買い物をするんですよね。それで、大量に買い占める人もなく、喧嘩をすることもなく、一種変な和気あいあいの雰囲気だったのを覚えています。
[佐藤さん(以下、佐)]よくこれ撮りましたよね。並んでるときですよね。会計してる途中ですか?
[ぽ]そうですね。その時「写真撮っていいですか?」って一応聞いて、「あ、どうぞ!」っていう感じで。思ったよりコンビニの商品棚なんかは崩れていなくて、このレジの後ろ側のタバコの棚とか、肉まんを入れている保温器とかそういったものは倒れて結構ぐちゃぐちゃな状態でした。コンビニの店員さんは、電卓でレジを一生懸命やってました。他のコンビニは閉まってましたが、ここは個人経営のコンビニだったので、敢えて開けていたと思います。
[佐]この写真は、東京とか他の町、110ヶ所でやっているパネル展で、皆さんにご紹介する時に入れてる写真でもあるんです。なぜかというと、地震があった時、例えば近くにコンビニがあるから、そこに行って食べ物を買えばいいという風に皆さん思われていて、その時には閉まってしまうということとか、個人商店は利用できるけど、コンビニ・スーパーは利用できないことが多いということを聞いて、初めて気がつく。こういう状況になるんですよっていうのをお知らせするのにすごく分かりやすい写真だなと思って使わせてもらっていました。
[ぽ]結局こういうことはオーナーさんの判断になると思うんですが、ちょうど今朝の河北新報に掲載されていましたが、多賀城のコンビニで店を開けていて、そこに津波が来てアルバイトの子が亡くなって、ご遺族が提訴されたっていうことなんかもあるので。やっぱりみなさんが買い物に来られるので開けていたっていうのもあったと思うのですが。ここは内陸ですが、色々とそういった危険を顧みずに開けてくださっていて非常にありがたかったです。今でも買い物してます。
■泉警察署前の信号機は点灯
[ぽ]コンビニに行く前の15時12分に、ユアテックスタジアム仙台(註:Jリーグ・ベガルタ仙台のホームスタジアムでもある。サッカー・ラグビー・フットボール専用の球技場)前のかむり大橋が落ちてないかどうかを見に行きました。泉中央の駅はこの写真左側の方になりまして、この道を真っすぐ行くと将監トンネルの方向で、後方左側が泉中央署になります。ここは信号が点いていて、黄色で止まった時に撮りました。
[佐]その他の所は仙台市内全部停電だったと思うのですが、ここだけは自家発電なのかどうか分からないけど点いていたんですね。
[ぽ]東警察署前も確か自家発電だったので、こういう警察署の前や幹線道路は、点いてるんだなというのをぼんやり思いながら撮りましたね。
■泥かき作業中の土産物屋
[ぽ]これは3月29日の松島海岸です。右側が海岸の所になって、このちょっと先に五大堂があるところです。松島は1.5メートルの津波がきたそうですが、1階はお土産物屋さんなどが全部浸水していました。ここは早くボランティアさんが入っていましたので、泥のかき出しをしたり、濡れた商品なんかを全部沿道沿いに出したりしてお掃除をされていました。 この時私は石巻に行く途中で撮りました。
■地震で停電し非常灯がついた商店街
[ぽ]この写真は、4月7日の最大余震が起こった日なのですが、この日も例によって眠れずに一晩中ずっと起きていました。東京から支援で来ていた友人がホテルに泊まっていたので、そこに行って、安否確認をしたときに撮った、日付が変わった後の、サンモール一番町の商店街です。実はこの辺結構水漏れをしてました。2階や3階から水漏れがあったりして「折角直したのにまぁもう」と怒ってる人がいましたね。
[佐]この日は、みんな心が折れた日でしたね。これを撮ったのは夜中に地震あって、日が変わってすぐでしたか?
[ぽ]この空の明るさは、午前4時とか5時くらいです。仙台市内もこの時まだらに停電しまして。泉区の方では、変電所がスパークしてやられたので、次の日の午前中にならないと点きませんでした。一番町だと点いているところと消えているところがまだらにあったんですよ。ここは非常灯のような感じで点いてまして、逆にこっちの手前の南町の方に入ると、明かりが点いているコンビニとかもあった状態でした。
*この記事は、2012年6月16日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、ぽちさんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://table.smt.jp/?p=371
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/
【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。
|記録の利用事例|
1枚目の写真は、展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました。
来場者がこの写真を会場で見て、想起したエピソードを下記のリンクからお読みいただけます。
06「POSレジが使えず、電卓+手書き伝票で対応していただきました。感謝」