この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。
▼「3月12日はじまりのごはん」とは▼ふせんのコメントについて
[2014年秋]展示パネル
[2015年春]展示パネル
[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。
▷古城のコンビニ。沖野の友人宅で地震となり、古城小学校近くまで送ってもらいました。宮城県沖地震を思い出し、コンビニに飛び込みました。すぐ食べられるパン、おにぎり、カップめん、水、飲み物、衛生用品、乾電池を買いました。並んで、余震がきたら、みんなでカゴをおいて外にでる。何回やったかわかりません。雪も降ってきて、「どうなってるんだろう。何がおこったんだろう。」と、並んだ人達と話しました。黙々と電卓を叩いて売ってくれたコンビニの方々に感謝です。また、声を交わしたことで、一人ではないんだと、気持ちが落ち着いたことを覚えています。
▷コンビニ…、コンビニ…。あれれ? 何の記憶もないです。どういうことだろう。
▷3月11日の夜7時過ぎくらいから中央4丁目のファミマにならんで買い物しました。停電で余震が続いていたなかでよくお店を開けてたなあと思います。ただし、お客さんは中には入れず欲しいものを店員さんに持ってきてもらって清算は電卓でいちいち計算してたのでとても時間がかかりましたね。順番が回ってきたときにはパンやおにぎりなどすぐに食べられるものはなく、ポテトチップスなどのお菓子とカップラーメンを買いました。買ったはいいけど、余震が怖くて事務所に上がれず、夜遅くなってから我慢できなくなって事務所に行ってお湯を湧かしてカップラーメンをすすりました。並んでる最中に空を見上げて、森ビルのてっぺんのあたりにお月様とスバルがならんでいるのをきれいだなあと眺めていたんです。あとコートを置いてきてたのでめちゃくちゃ寒かった。もう3年半がたったのに自分のことながらよく覚えてるもんですね……
▷地震の時は職場にいて、テレビも見られず、被害の様子も知らぬまま帰宅。途中、コンビニに寄ったらガムくらいしかなく、それでも無くなる前に買わなくちゃとガムを2個買いました。
▷友人宅に、それぞれの食べ物を持ち寄って数日過ごしていた私。みんなに何か買おうと思って長い列に並んでコンビニでお菓子を買ったのに、気付くと自分の家で全部食べてしまった。あの時の罪悪感。でも「どうしようもない」気持ちを思い出した。
▷数日経って、食生活がこなれてくるとパン、牛乳が食べたくなる けど、どこ行っても売切れなんだよネ…
▷3月20日(日)午後、地震後初めてコンビニで買い物しました。ガラガラの棚に、発泡酒が一缶ポツンと残っていて、それだけを買いました。その夜、地震後初めて飲んだアルコールです。
▷東日本全体が震災の恐怖の中にいました 東京在住
▷これドラッグストアですね… コンビニよりは開けている店が多かったと思う…
▷3/11の会社帰り(その当時はお勤めでした)、17時ころ行ったと思います。レジが使えなかったので手計算、そのため長蛇の列、後ろの方の会話が「明日ベガルタの試合で…」「こういうときだからこそ開催してもらって」と行くことを想定した話し方だったので、その時点では私も含めみんな被害の大きさを理解していない状況だったのを思い出します 3月だというのにボタ雪が異常なくらい横なぐりで降っている様子を店内から眺め、みんなで「これはなんかおかしい」と正体の知れない恐怖感を味わったのを思い出します 3/12はじまりのごはんはそこで買ったお弁当。寒かったので冷凍庫が機能してなくても、外に置いてても食べれた。地震で著しくレイアウトが変わった、そこにたどり着くのも障害物を超えていく部屋で、足元は土足でお弁当を食べてたというのを思い出しました
▷私のはじまりのごはんはセブンイレブンのアメリカンドック からあげ棒です。震災時、高校卒業後で帰りの電車の中でした。(14:45発) 1時間半後、トンネル内の電車の中に閉じこめられました。電波の届かない中、地震があったことしか分かりませんでした。線路に降り、駅まで歩きました。周りの風景が全然変わっていなかったので大きな地震だとは思いませんでしたが、駅のアナウンスで東北でとても大きな地震があったと知り、あわてて、多賀城市に住むおばさんに母が電話しました。駅から歩いて家に帰る途中で、働いているセブンイレブンに行ったら、残庫も全てすっからかんになっていたのがとても印象的でした。私のコンビニに「いつも通り」が戻るまで、半年程かかった気がします。横浜在住(震災時)
▷東京から来ました。あの日、東京でも、コンビニから食べ物がなくなったのが、これを見るとはずかしい。10/13
▷具の入ってない塩むすび1個300円。2個で500円で販売してた店も有ったけど「配れよ!!」といいたい
▷東京から実家に初めて車で帰る時、父に欲しいものを聞いたら「美味しいカップラーメン」と言ったことが忘れられません。2011年4月3日
▷20年前の1月、同じ光景がありました…
▷3/13 パパといっしょに100円ショップを何けんも回って冷とうごはんなどを買いました。コンビニも何もなかったです。
▷3/12、さいたまのコンビニも同じ様な光景でした。牛乳を探して何軒もハシゴしたことを覚えています。
ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。
[基になった写真]
「食料品がまったく置いていないコンビニ」*
2011年3月15日 宮城県仙台市青葉区
記録:篠原治樹さん
*出典:写真集「3.11キヲクのキロク—市民が撮った3.11大震災 記憶の記録—」
発行・提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
この写真の記録者のエピソードは、次のリンクからお読みいただけます。
【しゃしんときじ】仙台市中心部の市民生活の様子
「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。