この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。
▼「3月12日はじまりのごはん」とは▼ふせんのコメントについて
[2014年秋]展示パネル
[2015年春]展示パネル
[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。
▷3.12から1ヶ月、旦那の実家でお世話になりました。私達2人だけでは心細かったので、みんなでいるとすごく安心しました。今は別々に暮らしてますが、とても感謝しています。
▷家族6人と、お姉さん家族3人の計9人家族で、約1ヶ月。内、子供が3人いたので、毎日笑顔と、明るい声に助けられました。みんなで…一緒にいられることの大切さを実感しました。
▷震災のときは別に住んでいた父方の祖父母ともみんなで肩を寄せ合って食べたときのことを思い出した。
▷母が12日に反射式ストーブの上にフライパンをおいて目玉焼きをやいてくれました。目玉焼きは毎日出るから飽きていたけど、その朝はとてもおいしかったです。
▷ごはんを人と一緒に食べる安心感
▷友達のおばあちゃん(正子さん)がチャーハンとみそ汁をつくってくれて、食べた昼食です。
▷大変なこともたくさんあったけど正子さんとみんなといっしょだったから、このころのこと、思い出すのはつらくないし、かなしくない。この写真も、宝物です。正子さんとみんなにありがとうです。
▷冷凍庫に残ってたご飯を日光の熱で解凍して食べた。
▷3・11を経験し、初めて感じたカップめんのありがたさ…家族みんなが笑顔になった。
▷となりから頂いた御飯の味が忘れられない
▷あの大災害を経験し様々なことを学びました。人生にとって大きな1ページでした。
▷避難してこられた方との月2回の交流会では、皆さん手づくりのおかず、おむすびをいただいています。皆でわいわい言いながら食べられることの幸せ。(埼玉) 少しの食料を皆で分け合い食べたことを思い出しました。
▷うちの正子を心配して集まってくれた友人たち。ありがたいですね。今でも手紙をくれたり私のいない所で会合があったり。今後ともお付き合いよろしくお願いします!
▷寮のみんなで部屋の食べ物をもちよったら山積みになったことを思い出します。
▷それぞれに限られた食料しかない中で、近くの人と分け合ったりもらったりあげたりしてたなあ〜
▷親戚、友人で集まって、食料を少しずつ分けながら食べたこと思い出しました…
▷魚を焼いたときに出た油をとっておいて、うまみたっぷりの油を次の日別の料理に使ってみたと聞いて、むだなく使いきる知恵だなーと思いました。おいしかったなー。
ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。
[基になった写真]
2011年3月13日 宮城県仙台市青葉区梅田町
記録:北野央さん
提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。