ごうけいほうもんしゃすう

3月12日はじまりのごはん/炊き出し 70「あたたかいことがおいしかった」

NPO法人20世紀アーカイブ仙台 & わすれン!協働企画



この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。

▼「3月12日はじまりのごはん」とは
▼ふせんのコメントについて



[2014年秋]展示パネル

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[2014年秋]展示概要
期間:2014年10月1日〜11月16日
会場:せんだいメディアテーク



[2015年春]展示パネル

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   ※[2014年秋]展示時のふせんが付いたパネルに、来場者がコメントを書き足したものです。

[2015年春]展示の様子
期間:2015年2月20日〜3月18日
会場:せんだいメディアテーク




[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。

▷あたたかいことがおいしかった

▷自分の弁当箱を持って歩いて、それに店の出す料理を入れてもらってた。でも、ラーメンの場合を考えると、アルミの飯ごうの方がよかったかも…

▷3.11当日〜翌日までは、緊張で食欲がわかず、ほとんど食べられませんでしたが、妻と子供を無事実家の山形へ預けることができたら、とたんに腹がへって、一日4〜5食食べてました。しかし、それでも5〜6kやせたので、ストレスがあったんだなぁ… 今はリバウンドして+5kですが… にしても、あったかい食事って、それだけでおいしかったですね。

▷3/14 保育園でもおにぎりとみそ汁が出されおかずがある、食べ物があるという大切さを知りました。

▷アーケードでおにぎりを歩いて売っている人たちを何人か見かけたのを覚えています。

▷俺は丸2日間何も食べれませんでした。ビンボーでお金がなかったからです(涙)

▷当時、東京で被災した私は、連絡のとれない仙台の家族のことを心配しながら、避難先のビルが出してくれたスープを飲んだ。少しだけほっとしたのをおぼえている。

▷思い出すのは、炊き出しの湯気と、お皿がわりに使った、カップメンの空き容器。お湯で顔を洗えた時はとても嬉しかった。横浜市からのボランティア

▷ガスコンロが役立ちあったかい煮込みラーメンなど体があったまりました。けど、補充のガスボンベが市価の数倍の値で売ってました。

▷食糧を求めて街中をあちこち歩く日が続きました。国分町の某店の前で冷凍の魚や肉が100円で売っていたので、魚を買って煮付にして食べました。

▷震災後、はじめて電気が通った。ホットプレートでお湯を沸かして、にぼしを入れ、乾メンのうどんをつくって食べた。あったかいものを食べれるのは幸せ♡

▷直後は石油ストーブとカセットコンロがとても活躍した。中心部は電気が早かったので、コンロのガス節約の為に友人宅から共同生活の場であった自宅に持ち込んだ電気ケトルでお湯をわかしていたのを思いだしました。


ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。





[基になった写真]

2011年3月18日髙橋悦子さん

2011年3月18日 宮城県仙台市青葉区国分町2丁目15-2 グランパレビル2Fの居酒屋
記録:髙橋悦子さん
提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台





「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。





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センターについて

せんだいメディアテークでは、市民、専門家、スタッフが協働し、東日本大震災とその復旧・復興のプロセスを独自に発信、記録していくプラットフォームとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれン!)を開設しました。

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