![](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/01-02-1.jpg)
![](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/01-08.jpg)
●玄関/石材
《安山岩》
![玄関_11_荒浜_20111215](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/167a834400c8df28dd1ac8f0f0463903.jpg)
ポーチ:2丁掛けタイル張り
撮影地区:荒浜
撮影日:2011年12月15日
《鉄平石》
![玄関_12_荒浜_20111224](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/240e53320d79f86dcb5c1ae9761d396b.jpg)
玄関:玉石モザイクタイル張り
式台:御影石
基礎:秋保石
基礎の秋保石はこの家の歴史を物語る。
ポーチの鉄平石に似せた色彩の玉石モザイクタイル張は、外部からの連続性をもたせている。
広い玄関の白い御影石の式台がこの場所の風格を演出している。
長い時間の生活が営まれ、どれだけの家族がここから巣立っていったのだろう。
撮影地区:荒浜
撮影日:2011年12月24日
《鉄平石》
![玄関_13_荒浜_20111216](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/3eb32dc2d51b8be1383a719446a93b35.jpg)
玄関床:玄昌石乱張り
幅木:タイル張り
基礎秋保石
秋保石の基礎はこの家の歴史を感じさせる。自然石の乱張り。
玄関の屋根を支える二つの柱の黒御影の沓石。豪邸を思い浮かべる玄関先。
身なりを整え、改まった気持ちでないと入りにくいほど立派な邸宅だったことを想像する。
撮影地区:荒浜
撮影日:2011年12月16日
《玄昌石》
![玄関_14_荒浜_20111215](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/f7789a2fb3223c201ae3cb39806d9345.jpg)
アプローチからポーチまでのゆったりした階段は玄昌石乱張りで仕上げられている。
乱に組み合わせられた自然石の味わいが重厚感を演出している。
いつも玄関先の向こうに思いを馳せる。
撮影地区:荒浜
撮影日:2011年12月15日
《鉄平石》
![玄関_15_荒浜_20120123](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/d1645a9d9b8a2b0ae4084b8892db6258.jpg)
ポーチ:鉄平石乱張り
撮影地区:荒浜
撮影日:2012年1月23日
《玄昌石》
![玄関_16_荒浜_20120123_1](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/4d413ae0a3bd1c803fb45cfbafe24311.jpg)
玄関:玉石砂利+玄昌石モルタル埋め込み
この玄関とポーチは和風の趣向を凝らした豪邸があったことを忍ばせる。
道路と大きな高低差のある敷地にはポーチの下部はカーポートか物入れ。
撮影地区:荒浜
撮影日:2012年1月23日
《自然石》
![玄関_17_藤塚_20120709_1](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/2a999d730f27e795b5948fc6070cb39e.jpg)
玄関:自然石乱張り
基礎:軟岩
秋保石の基礎からかなり古い住まいと思われる。
玄関先の自然石乱張りが、白い目地で縁どられて美しい。広い住まいは藤塚の旧家なのだろう。
撮影地区:藤塚
撮影日:2012年7月9日
《割石》
![玄関_18_荒浜_20120123](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/f1edfc8931292e2f6dd1220ad6d1c71f.jpg)
ポーチ:割石乱張り
撮影地区:荒浜
撮影日:2012年1月23日
《鉄平石》
![玄関_19_荒浜_20120123](http://recorder311-j-bu.smt.jp/wp-content/uploads/45ed86929da2308b5358293e706c5dc4.jpg)
ポーチ:小口タイル張り(陶器質)
玄関:テラゾブロック張りステンレス目地
幅木:テラゾブロック張り
撮影地区:荒浜
撮影日:2012年1月23日
■詳細解説「私と荒浜・藤塚地区とのかかわり」髙橋親夫
私は震災後まもなく若林区荒浜・藤塚地区に入りました。その後、数ヶ月にわたって何度かこの地を訪れ、行くたびに茫然とその光景を眺めていましたが、やがて破壊された家財や建物が取り除かれてゆき、その下から荒浜や藤塚地区のそれまでのたくさんの住居跡が現れました。この地域に地層のように残されていた生活時間や文化の重なりは、佇んでいた私にたくさんのことを語りかけてきました。私は自分の生い立ちと重ねながら、残された「家」の声を聞き取ることに夢中になっていきました。
それぞれの住宅を訪問するたびに、居住していた方の、家を建てた時の喜びを思いました。残された住居跡に長年の夢や希望やアイディアが詰まっていることに気づき、当時の人たちに思いを馳せたのです。残されていたものから、施主の期待に応えようとした、職人たちの心意気を感じ取ることができました。それぞれに個性があり、二つとして同じ家はありませんでした。そして、その後そこで暮していた家族の生活の時間を思いました。
残されていた住居跡には、もう生産されていない材料や今は行われていない職人技が見られました。特に目を引いたのは、かつて盛んに行われていた左官技術の数々です。工場生産品に取って代わられた現代の住宅建築では行われていないものばかりで、できる職人もほとんどいなくなってしまった手仕事の良さが見て取れました。この地域には他のどの地域よりもそれが残されていました。
住居跡からは、残されていたものが限られていたにもかかわらず、海側にはこの地が豊かで農業と漁業の兼業生活の長い歴史があったことや、それに続く西側には新しい住宅地が広がり、自然豊かなこの地域に発展の息吹があったことを知りました。
私はこれらの生活跡がやがて復興工事と共に消滅してしまうことを思い、荒浜や藤塚地域の方々のくらしの証としての調査と、記録を始めたのです。