冒険広場に津波が来たのは、地震から1時間余りたった15時55分頃。
海の見えない場所にいた僕がそれに気が付いたのは、海の方から「バキバキバキ・・・」という音が聞こえてきたからでした。一瞬のうちにまわりを囲んでいた松林はなくなり、代わりに濁流の海がひろがりました。すぐに、「とにかく一番高い所へ」と山の上に駆け上がりました。そして、展望台の上にのぼると、すぐにデジカメのシャッターを切りました。この時点になると、できることは何もなく、とにかく記録だけは残しておこうという気持ちでした。
(以下撮影:海岸公園冒険広場スタッフ根本暁生)
2011年3月11日15時56分
展望台のうえに辿り着いて、最初に撮った1枚。海を背に、内陸側を見ています。冒険遊び場、大型遊具広場のある高台は、かなりの面積が浸水を免れました。ただ、時計の向こう側の園路をみると、水が入ってきている様子もわかります。
展望台の支柱の上にデジカメを置いて動画ボタンを押しました。
2011年3月11日16時04分
津波が来たときに園内にいたのは、地元、井土(いど)地区の集落から避難してきた御家族3人(+犬1匹、猫1匹)と、スタッフ2人の計5人でした。
2011年3月11日16時07分
閖上(ゆりあげ)方面。煙が上がっていました。
津波に呑み込まれてから約10分、海の方に目をやると、さらにいくつかの大きな波が迫ってくるのが見えました。
2011年3月11日16時15分
これらの波は、幸い海岸線(5m余りの防潮堤もあり)のところで止まり、冒険広場周囲までは水が入って来ませんでした。
2011年3月11日16時46分
遮るもののない展望台の上は、風をまともに受け、厳しい寒さでした。そのうえ雪も降ってきて「何でこんな時に・・・」と話していたのを覚えています。その後、雪がやんで一瞬陽が射した時に、本当にうれしく、ありがたく思いました。
2011年3月11日16時51分
自転車は地元の方が避難してくるときに乗ってきたものです。その右側にある車輪のあとは、リヤカーのもの。津波が来る前に管理棟(津波により水没)に取りに行っていた防寒着、ハンドスピーカー、救急箱などを運んできていました。
2011年3月11日16時52分
荒浜方面。松林がなくなったため、これまで見えなかった荒浜小の校舎も見えるようになっています。
2011年3月11日16時53分
石で地面に書いた文字。「ブジ」には、「周囲の、より緊急性の高い状況の人を救助してもらえれば・・・」という思いも込められていました。
2011年3月11日17時16分
「周りの状況からして、すぐに救助は来ない。今日ここで夜を明かすかもしれない」と考え、17時頃には、展望台の下にブルーシートなどで、風雨よけのスペースを作る準備を始めていました。そんな中、17時10分頃、自衛隊のヘリがやってきたのです。そして、広場の真ん中に着陸。僕たちは救助されました。(写真は、飛び立った直後に眼下に見たプレーリーダーハウス)
2011年3月11日17時16分
ヘリが飛び立った時点では、冒険広場周囲から数メートル高くなっている駐車場、管理棟の部分もまだ冠水していました。
2011年3月11日17時17分
奥に見える直線は仙台東部道路の土手。手前に見える集落三本塚地区。手前の鉄塔、「一本松」は二郷堀沿いのものです。
2011年3月11日17時17分
東部道路の東側、三本塚の集落。
2011年3月11日17時18分
津波は東部道路を越えて霞目(かすみのめ)幹線(排水路)のあたりまで到達しました。雪が降ったため、浸水範囲がはっきりとわかりました。
2011年3月11日17時19分
自衛隊ヘリの中。(犬・猫も一緒に乗り込めました!)
2011年3月11日17時20分頃
ヘリは陸上自衛隊霞目駐屯地まで僕たちを届けてくれました。直ちに救出していただいたことに感謝のしようもありません。一緒に避難した地元の方は、ここで数日を過ごしたそうです。 僕たちスタッフは、いったん駐屯地の体育館に避難した後、徒歩で自宅へ向かいました。