子舞台が完成し、いよいよ全てが揃った神楽舞台が一般にお披露目されます。
【解説】
雄勝法印神楽を伝えたのは「法(ほう)印(いん)さん」と呼ばれた羽黒山の修験者だ。雄勝町大浜の石(いその)神社・葉山神社に伝わった古文書「羽黒派末派修験帳」によれば、一子相伝、しかも口伝で修験者が受け継いでいたという。祭りの季節、法印さんは集落を巡って神楽を舞い、大漁や五穀豊穣、家内安全など人々の願いを神に伝えた。
明治維新後、政府が神仏分離と修験道廃止を打ち出し、法印の職が廃止されると、神楽は神職が受け継いだ。やがて、神職だけでは舞い手が足りなくなり集落の人々が加わった。雄勝、大浜、大須の3つの地域にあった神楽集団は1952年、組織をひとつにまとめて「雄勝法印神楽保存会」を結成。1996年には国の重要無形民俗文化財に指定された。
神仏分離後、神楽の題材は古事記や日本書紀の神々の物語が多くなったという。人気演目「日本武尊(やまとたけるのみこと)」も神々の物語だ。姫君に化身して天(あまの)叢(むら)雲(くもの)剣(つるぎ)を奪い、その罪を日本武尊に着せようとした大海原に住む悪鬼と、企みを見破った日本武尊の戦い。尊と悪鬼が大立ち回りを演じる。美しい姫君が一転悪鬼に変わり、舞台上に十文字に渡した丸太の上に仁王立ち。と思うと丸太に足をかけてどうとぶら下がる。荒(あら)舞(まい)は練達の神楽師の見せどころ。歓声が湧く。
文 奈良部和美(ジャーナリスト)
【取材協力】
雄勝法印神楽保存会、せんだい演劇工房10-BOX、雄勝法印神楽再生実行委員会、
東建設株式会社、仙台高専建築デザイン学科坂口研究室、
えずこ芸術のまち創造実行委員会、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)