語り手:相蘇裕之/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■震災翌朝、仙台港の石油コンビナートから立ち上がる黒煙
[相蘇裕之さん(以下、相)] 震災のあった翌朝、自宅の宮城野区新田のマンションから見ると、仙台港の石油コンビナートに黒煙がもくもくと立ち上がっていました。11日の震災当日はニュースの映像を見ることができなかったので、入ってくる現実の風景に驚きました。オレンジ色の朝焼けが混在していて、映画や特撮の世界の出来事のように感じました。
■避難所の東仙台中学校で給水を求め、6時間の列
[相]はじめ、自衛隊の駐屯地に行きましたが、ここでは給水は行っていないと断られました。東仙台中学校では給水ポンプを稼働させていて、早朝のうちはすんなり汲めた水も昼前には6時間待ちの長蛇の列。その後、私の娘たちも給水を手伝うボランティアに参加していました。(ちなみに翌日13日からは整理券を配り始めたので長蛇の列はなくなりました。)
■お風呂にまだ入れず銭湯に並ぶ人々
[相]宮城野区原町にある「にしき湯」という銭湯です。震災でガスが使えなくなり、自宅で入浴できなくなった人たちが列を作り、入るまで相当な時間を要していました。この銭湯は元々3月末で廃業する予定で、震災時には既に休業していましたが、急遽営業を再開し、たくさんの人を支えてくれました。
■蔵が倒壊したところをテレビで生中継
[相]4月7日の23時32分に震度6弱の最大余震が起き、倒壊してしまった蔵を東京のテレビ局が生中継しているところを通りかかった時に撮影しました。
■警視庁のパトカーや応援車輛が走る仙台市内
[相]このパトカーは品川ナンバーですが、このように全国から応援のパトカーや緊急車輛が駆けつけてくれていました。他県の緊急車輛を見ると「ガンバレ!」と自然にガッツポーズが出たものです。妹婿も「箱根消防署」の救急車で応援に駆けつけてくれ、大変心強く思ったものです。
*この記事は、2012年7月3日に仙台国際センターで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、相蘇裕之さんがお話された内容を元に作成しています。
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/