語り手:小田朋子/進行・聞き手:佐藤正実さん(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)
■物資が入りにくい時期、息子がスーパーで買ってきた食材
2011年3月19日 18時28分 宮城県仙台市青葉区自宅
|展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました|
[小田さん(以下、小)]高校1年生の息子が、近くのスーパーが開いてるから行こうと、友達からメールで誘われたらしく、それまでほとんど家から出ない状態だったんですが、初めて出かけて行きました。何か買ってきてと頼むと、普段買い物に行ったことのない息子が選んできたのが、この写真の品だったんです。カップ麺も、水分も欲しかったものでしたが、デミグラスソースの缶詰は、煮込み料理の材料なのでそのまま食べることはできません。でもせっかく手に入ったし、私が後から他の材料も買ってきたので、ストーブの上でその後何時間もかけて作り、一体何をしているのだろうと思ったのを思い出します。こんにゃくは保存が利くのでそのまま長い間保管していましたね。
[佐藤さん(以下、佐)]これを撮ろうと思ったのは、初めて子供がスーパーで買ってきたものだというのもあったと思うのですが、他に何か理由があったのですか?
[小]この時期は食材や物資が手に入りにくい時期だったので、友人が送ってきてくれたものを忘れないように一通り記録する意味でも写真を撮りました。母の友人が、何も手に入らないのだろうという感じでタオル、シーツ、パジャマなども送ってくれました。他の地域での報道では、こちらがかなり切迫している状況だと伝わっているということなのかなとも思いました。
■地震で倒れたお雛様
[小]2月に片平の庭園で友人と、お雛様の展示とお茶会に参加しました。いろんな種類のお雛様が飾られていて、元々はあまり興味がなかったのですが、あまりに見事だったので、私が子供の頃に買ってもらったお雛様を、自宅の和室に飾ろうということになりました。友人にも連絡したら、そこでお茶を飲んでおまんじゅうを食べようかという話になったのですが、3月3日には間に合わなかったんです。旧暦に祝えばいいのではないかということになって、そのまま出しっぱなしにしていたら、地震がやってきてこんなことになってしまいました。
[佐]悲しかったでしょうね。
[小]そうですね。この写真だけだと、お雛様や落ちたものがただ散乱しているように見えますが、土壁がもうもうと落ちてきていて、土埃の中からお雛様を救出するのがすごく大変でした。家は昭和45年くらいに建てられた建物で、二階が結構歪んでいたり、反対側の部屋は窓が外れて落ちたりしていました。宮城県沖地震(昭和53年)の時の歪みがまだ残っていたようです。
■広範囲に落下した屋根瓦
[小]自宅が公園と道路に囲まれた場所に建っているのですが、屋根瓦が、庭と公園と道路の広い範囲に落ちてしまいました。業者さんが、シートをかぶせて屋根に応急処置をして、瓦を一カ所に集めてくれました。瓦一個一個がものすごく重くてびっくりしました。支柱や植木鉢も、落下した瓦の直撃を受けていました。使っていないポリバケツとか、いろいろと庭に置いていたものもばらばらになっていたので、かなり怖かったです。
■パン屋さんで配られた整理券
[小]これは26日に普通に郵便局に行こうとしていた時に、パン屋さんの袋を持って歩いてる人を見かけたので、これは!と思ってさっそくパン屋さんに行ってみました。パン屋さんでは整理券を配っていて、写真にある通り、日付が並んでいるので、毎日回収しては使い回ししていたようです。その整理券が手に入って、パン屋さんは8時から開店していて、そこから56番目でした。私が行ったときにはお昼前の11時くらいでしたが、2、3人しか並んでいなくて、すぐに買えました。ただ種類があまりなくて、ロールパン一袋でしたけど、自分で煮炊きせずに、口を開ければ食べるものが手に入ったというのは良かったです。普段の生活でも、一番簡単な食事はパンを買って食べるということが頭にあったので。
[佐]このパン屋さんは比較的早くオープンしたんですか?
[小]いつからやっていたのかは分かりませんが、写真にある整理券は22日から日付が始まっていますね。
■コンビニで購入した業務用牛乳
[小]コンビニの前をたまたま通りかかったらそこの店長さんが、牛乳を両手に持って、「牛乳が買えますよー」ってすごく大きな声で叫んでいました。普段は見ることのない業務用のパック牛乳がコンビニで売っていたんです。私はカフェオレが好きで、とにかく牛乳が欲しくてしょうがありませんでした。朝起きて食事を食べながらカフェオレを飲むということで、一日が始まるようなリズムの日常だったので、そこが欠けていることで、すごく落ち着かない毎日を送っていました。牛乳を買って、やっとカフェオレを飲むことができました。
[佐]パンも手に入って、カフェオレも飲めるようになって、やっと日常に少し戻ったという感じだったんですね?
[小]ちょっと違うところにいる生活が着陸の方に向かってきたという感じでしたね。ただ、この時は、電気や水道は復旧していたけど、ガスはまだだったりして、そういうことでこの先どうなるのだろうという不安の方が大きかったですね。
*この記事は、2012年10月27日にせんだいメディアテークの考えるテーブルで行われた『3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト公開サロン「みつづける、あの日からの風景」』で、小田朋子さんがお話された内容を元に作成しています。
当日の様子はこちらからご覧いただけます。
《考えるテーブル レポート》→http://table.smt.jp/?p=1470
【3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは】
このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。
NPO法人20世紀アーカイブ仙台
公式Web:http://www.20thcas.or.jp/
【考えるテーブルとは】
人が集い語り合いながら震災復興や地域社会、表現活動について考えていく場を「考えるテーブル」と題して、せんだいメディアテーク、7階スタジオに開きます。トークイベントや公開会議、市民団体の活動報告会など多様な催しを行っていきます。
|記録の利用事例|
1枚目の写真は、展示「3月12日はじまりのごはん」で利用しました。
来場者がこの写真を会場で見て、想起したエピソードを下記のリンクからお読みいただけます。
48「『商品を5つまで』と決められて、両親が買ってきた『ハンバーグソース』!」