国道45号線沿いにある道の駅 高田松原タピック45。
多くの人がひっきりなしに訪れていた。市が保存を検討しているという。
道の駅 高田松原タピック45の内部の様子。
奇跡の一本松。およそ7万本の松が立ち並んでいた「高田松原」で津波に耐え唯一残ったが、海水の影響で枯れてしまった。 その後、市長の提案で復元事業費約1億5千万円を投じ、人工モニュメントとして保存が決まった。復元費用は募金でまかなわれたが、地元住民からは賛否の声があがったという。
一本松は自立構造体とされ、主構造体は炭素繊維強化樹脂複合材料(CFRP)を使用し、上部枝・葉部分は型を取った後にレプリカが作製された。「以前と姿が違う」との指摘もあり、枝の角度などにも調整を要したそうだ。
山を切り崩す光景を多く目にした。陸前高田市では、高台移転の造成工事などで発生した土砂の約460万立方メートルが使い切れずに余っており、保管場所の確保も問題として抱えている。今後は近県での広域処理も検討しているらしい。
駅前通りでお店をやっていた大坂写真館も津波で店舗を消失した。3代目の大坂淳さんは、震災当時、消防団の分団長で2012年度からは消防団長を務めている。後ろの山では高台用地の造成工事が進んでいた。
1975年陸前高田市高田町にオープンしたジャズ喫茶「ジョニー」。 津波は店内のレコードや楽器だけではなく、多くの常連客の命も奪ってしまったという。 現在は仮設店舗で営業されており、地元の人たちの憩いの場となっている。
被災地に集いの場をつくるプロジェクト「みんなの家」。 陸前高田市出身の写真家、畠山直哉さんが撮影した被災直後の写真を伊東豊雄さんが見て、大いに感動したことが陸前高田に「みんなの家」を作るきっかけとなった。設計は伊東豊雄さん、乾久美子さん、平田晃久さん、藤本壮介さんの4人の建築家チームで行われた。象徴的な9本の柱は、津波による塩害で枯れてしまった地元の「気仙杉」を使い、その制作過程は2012年8月に開催された第13回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展で発表され、グランプリの金獅子賞にも選ばれている。伺った時は、地元の方々がお茶を飲みながら楽しそうにおしゃべりしていた。