この記事は、「3月12日はじまりのごはん」の展示期間中に来場者が貼ったふせんやパネルの様子を紹介するものです。展示された各パネルの概要は[いんでっくす]ページをご覧ください。
▼「3月12日はじまりのごはん」とは▼ふせんのコメントについて
[2014年秋]展示パネル
[2015年春]展示パネル
[パネルに寄せられた来場者のコメント]
写真の内容や場所に直接関係のないコメントもあります。
▷一番町のギョウザ屋さんが”煮込ラーメン500食無料提供!”というのをツイッターで見て、よだれが出そうになりました。うらやましかった。
▷一気に思い出してドキドキしました。
▷震災後、はじめて友人と会った場所です。
▷出産し、病院にいました。お見舞にいただいた地物のいちごを食べてすごしました。このいちごを作ったお家は流されたはずで、ご無事だったか泣きながら食べました。 ちとせ めぐみ
▷災害から物、金、人を知った。
▷独身で1人暮らしなのでカップラーメンや缶づめ、非常食がたくさん有って助かった。同じアパートの人達に分けてあげたら自分の分が全く無くなってしまった。次の日早朝にスーパーに並んで何とか食料を買う事が出来た。メデタシメデタシ♡
▷ボッタクリや便乗値上げ確かに多かったぁー 1番スゴイのはオニギリ¥1000だった。アンビリバボ〜!!
▷便乗値上げの店多数有りました。なんかムカつく
▷コーヒー1パイ¥500 ココア1パイ¥600 しかもインスタントでこの値段!! お手上げでした。
▷オニギリ1コとミソ汁で800円の店もありました。その店には今後行きません→
▷国分町の居酒屋では、オニギリ1個¥300で売っていた。ボッタクリだよね〜!!
▷よく行っていたカフェギャラリーで、ご飯をいただいたり、お水をいただいたりしたことを思い出しました。そこで出会う方々との何気ない会話が当時不安だった私の心をいやしてくれました。
▷そば屋、寿司屋、ラーメン屋、中華料理屋などお店の前で、弁当や卵を良心的な料金で提供してくれた。ありがたく思った。
▷荒町商店街の森民さんでは、無料で、ごはんや、みそ汁を食べさしてくれました。あったかい物がありがたかった。感謝
▷3/20前後かな? 岩手の実家から福島の自宅にバスを乗りついで戻る途中、仙台で数時間を過ごしました。思い出しましたよ。ボッタクリの連中を。
ふせんのコメントについて
この展示には、仙台市内はもとより、沿岸部・内陸部、宮城県内外、国内・海外を問わず、大人から子どもまで、さまざまな立場の方々が来場され、展示された震災時の写真から想起したことを、ふせんに書いてくださいました。ここでは、その寄せられたコメントの原文を、そのまま掲載しています。
[基になった写真]
「電力ビル裏で炊き出しに並ぶ人々」*
2011年3月12日 宮城県仙台市青葉区一番町3丁目8−23
記録:漆田義孝さん
*出典:写真集「3.11キヲクのキロク—市民が撮った3.11大震災 記憶の記録—」
発行・提供:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
「3月12日はじまりのごはん」とは
炊き出し、買い物、食卓の風景など、震災時の「ごはん」にまつわる写真を展示し、それらの写真を見て思い出したことや当時の暮らしぶりなどを、来場者に自由にふせん紙に書いてもらう参加型展示です。この展示は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台と3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)が協働で企画しました。
展示された各パネルの概要や利活用事例等は[いんでっくす]ページをご覧ください。