2018年9月24日(月・祝)相馬クロニクルダイアログ第2回を開催しました。
開催概要対話の場:相馬クロニクルダイアログ第2回 テーマ「ふるさと」
日時:2018年9月24日(月・祝)14:00-16:00
会場:せんだいメディアテーク 7f プロジェクトルーム
進行:渡部義弘(相馬クロニクル)
相馬クロニクルダイアログとは
相馬高校放送局の震災後制作の映像上映を主たる目的とした任意団体「相馬クロニクル」の音声・映像作品に見られる福島県の高校生の震災や原発事故に対する想いから、私たちの暮らしやこれからのことを話す対話の場です。
今回の相馬クロニクルダイアログ第2回では、
相馬クロニクルの制作3作品
『光る鉄塔の下で』(2015年制作 音声ドラマ)
『Atomic town』(2015年制作 音声ドキュメント)
『故郷を伝えゆく』(2015年制作 映像ドキュメント)
『Dear birth place』(2016年制作 映像ドキュメント)
上記4作品を鑑賞し、参加者が感じたこと、考えたことを対話しました。
いずれも福島県浪江町を題材に制作された作品です。
対話のきっかけとなるよう、今回は「ふるさと」というテーマを設定して対話を始めました。
震災後では「ふるさと」という言葉の意味合いやイメージなど、変わった部分が大きく、その思いを語る場になれば良いかと思い、今回のテーマを決めました。
上映終了後から、作品に対してあるいは福島に対して参加者からは積極的な意見や感想が出ました。
①音声を通じて震災の前の日常を思い出した方もいれば、少し離れた仙台からは見えない・知ることのできない問題を知ることが出来たという感想をいただきました。
②映像を通じて、あらためて福島の復興の進まなさを感じたという方がいらした一方で、作品に寄り添うように一見復興が進んでいないように見えても、少しずつ復興は進んでいるという感想もいただきました。
ダイアログ中にも発言しましたが、私自身は安易に「復興」という言葉は使うべきではないと考えています。復興とは復旧の先にある言葉で、復旧もままならない状態の中で復興はあるはずもないからです。一足飛びに復興という言葉を使うということは、復旧もままならないこの現状を覆い隠してしまう可能性があります。
③そんな中、どのようにテーマを決めて制作・編集しているのかという質問もありました。
基本的には相馬クロニクルの作品群はいわゆる「放送コンテスト」に向けて制作しています。そのために、決まったテーマで制作することも多いです。ふるさとに寄り添った作品群はそのようなテーマと先輩が制作した作品の影響下で制作されました。
企画・立案や編集を一人で行っているという説明には、会場から驚きの声が上がりました。
震災前の相馬高校放送局の作品群の多くもそうでしたが、大会が終わってからテーマを決めて、それに合わせた取材や編集をしていました。
④原発について高校生からはただ「迷惑!」という素直な意見が出てる一方で、わりと大人は、我慢をしているというか、前向きに原発を受け入れてしまっている。子どもたちのように「迷惑」とは言いたいのだろうが、町として原発を受け入れてきたという経緯があるため、原発については本心を言えないっていうところがよくわかったという感想もいただきました。
制作者が震災後初めて浪江に戻った時は、15歳の時でした。震災から3年が経過していました。
年齢制限が15歳だったので、その時に初めて入ったということでした。そのことについては、以下のように話してくれました。
「父に連れられて行ったんです。その時はまあ、ある程度瓦礫は片付いてましたけど、まだちらほら残ってて、ああそうだよね、こんな感じかっていうふうには思いました。でも当時はまだろくに、人も入れなかったんですよね。町なか走っても、しーんとしてるし、電気も点いてないし、信号がかろうじて点滅しているぐらいだったんで。で、まあそれはショックでしたし、こんな風になっちゃったみたいな感じにはなりました。
でもそのあと、避難区域が解除されて、行く回数が増えるようになって、で、人がやっぱりだんだん戻って来て、町歩けばまあ何人かは見かけるぐらいのレベルまでは、一応戻って。そっからは、あまり、感じることはだんだんなくなっていったんですけど。ただ、こないだ墓参りに行った時に、親戚がたまたま戻って来てたんで、親戚と一緒に、その親戚が実家を見に行きたいって言ったので、じゃあ行こうかって言って、行ってみたら、防災林を植えるために、僕の実家があったところ一帯が、埋め立てられてた。
その時は久々に、なんかショックだったというか。ああとうとう痕跡まで無くなっちったなあと思って。そんな感じです。」
⑤何が一番撮りたいか、 何を撮ってみんなに見てもらいたいと思っているかという質問に対して制作者は「浪江がどう変わっていったかとかの変遷を撮りたい」と答えていました。
彼には今後も記録を続けて欲しいと強く思いました。それだけの意義のある作品・活動だと思います。
今回は「ふるさと」そのものに関しての対話よりは、より具体的に福島や浪江町について知りたいという方が多く参加されたという印象がありました。対話を意図した会ではありましたが、その前提となる福島についての情報がまだまだ行き届いていない部分がありました。地元福島にいると、震災に関する情報は天気予報後の各地の放射線量で毎日触れることが出来ますが、一歩福島から出るとそういう情報が日常からは遠いところにあるのだなということも実感できました。
参加者の方からの質問を受ける中で、対外的には福島の情報が年々少なくなっているのだとうことを強く感じました。今回は「ふるさと」について語る場として設定はしたのですが、参加者の関心の多くは「福島」や浪江町に関する情報や現状を知りたいということのようでした。いらっしゃる方の多くはマスメディアで紋切り型にあるいは定型で語られる情報よりは、高校生の目に若者の目に福島がどう映っているかについて、より心を動かされたようです。
多くの方にとって未知の情報や思いを発信しつつ、震災や福島について率直な思いを語り合える場になるよう、引き続き活動を続けていきたいと思いました。
報告:渡部 義弘(相馬クロニクル主宰)
相馬クロニクル
相馬高校放送局の震災後制作の映像上映を主たる目的とした任意団体です。相馬高校放送局は日本ジャーナリスト会議特別賞を高校生として初めて受賞するなど、国内外で高く評価されています。